銀塩カメラ、デジタル一眼レフカメラの立ち位置について

自分は、初老の年代なので、多くのカメラを体験してきた。

留学先、旅行に行くときには、毎回フィルムを20-40本と買い込み、空港のエックス線の検査機で問題が出ないように鉛のパッケージに入れて移動したものだった。

何といっても、銀塩カメラは、うまく撮れているかどうかは、現像してみないと分からない、その緊張感が独特のもので、ワンショット毎に覚悟を決めながらシャッターを

切る、その感覚が自分としては、大好きな原因の一つだった。

 

愛用のニコンFフォトミックの露出計もお粗末なものだったので、頼りになるのは、自分の目と感性がメインであったのも、冒険的な要素もあり、上手く撮影が出来た場合の

喜びも大きなものだった。

 

それに比べて現在のデジタル一眼レフ、ミラーレス一眼は、ある意味非常に優れている。どんな状況下でも、露出、焦点、フイルム感度すらも随意に最適化することで綺麗な写真を撮ることができる。何と素晴らしいことか?古い年代の自分には、ある意味

パラダイスのようだ。

その上、新しいデジタル一眼レフは、昔と同じく馬鹿みたいに高価だが、自分のお気に入りの古いタイプのカメラとなると信じられないくらいの安価な値段で入手することが

出来る。

 

しかし、光をとらえることに感性を磨いてきた自分に取っては、大きな疑問が有るときから芽生えて生きた。それは、この画像は、自分の目で見たより鮮やかで本当に現物を

捉えているのか?これは、電脳による作画?ではないかと言うことだ。

 

それからの自分は、なるだけ、現物の濃密な現物感を表現できるカメラを求めて

写真を撮るようにしている。