ウクライナ侵攻のロシア軍の憂鬱と苦しみ
会見の最中に、手を何かに固定しないと震えてしまう、明らかにパーキンソン病のプーチン氏。明らかに老害で血迷っているとしか考えられない核攻撃の脅し。
おまけに、ロシアの侵攻前に、平気にアメリカは、派兵しないと馬鹿な宣言をする老害のアメリカのバイデン大統領。
これらのとんでもない、老害の二人の犠牲になっているウクライナの人々。そして、ロシア軍の侵略は、本国の家族には、知らされていない矛盾。演習と言われて騙されて戦わされている悲しいロシア兵士達。そこには、大義の欠片もない。
何の為に、戦うのか、死ぬのかさえも分からない状況で、現地のロシア兵士達は、ウクライナの人民に、罵られ、侵略者として、蔑まれている。
何という悲劇なんだろう。
こんな悲劇は、世界の総力を挙げても、早期に解決するべきである。
第6波 コロナオミクロンウイルスの蔓延の実際について
私は、長年技術エンジニアをしながら、母親の家業の塾の講師をやってきている。
そんな中、今回のコロナのオミクロン株の蔓延が1月の後半くらいから、始まった。
中学、高校生への蔓延の速度は、驚くほど速く、瞬くうちに、クラスでのクラスター、クラブ活動でのクラスターとアッという間に、自分の生徒達も巻き込まれていった。
そんな中、私は、日本のコロナ対応の大きな矛盾と無責任さに直面することになった。それは、テレビの世界で報道されている事とは、まったく異なった無責任な世界であった。
クラスターでオミクロンにかかった生徒達は、先ずは、一斉に発熱、強烈な喉の痛み、
頭痛、倦怠感に襲われる。驚いた親達は、医者に連絡、しかし、発熱していると受診してもらえない。そこで親達は、せめて薬を欲しいと懇願する、しかし、そこでまた、受診しないと薬は、出せないと拒否される。
慌てて、保健所に連絡しても連絡しても通じない、仕方なく、多くの親達は、市販薬を
買うべく薬店に行き、不安からありとあらゆる市販薬を買いまくる。
そんな中、3日ぐらいで喉の痛みと熱は、ましになり、ひどい頭痛と歩けない倦怠感は、約1週間ほどで改善する。
しかし、そこで問題なのは、受診も出来なく、保健所にも連絡が取れない中で、家族達は、子供達が、コロナに罹ったのか、他の病気なのか判別がつかないため、結局は、仕事を休むことも出来ずに、全員が、働き続けることになる。
おまけに、クラスターで感染した子供達のほとんど全員が、上記のような状態で、当たらず触らずの世界で、感染者としては、カウントされていない。
毎日テレビも賑わせている感染者数とは、一体、何の数字を表しているのだろうか?
ある子供が回復した父兄との会話で、おそらく15人に1人くらいが、医者にかかることができて、罹患者として、カウントされていると言われた。まったく、どういうことなんだろうか?
文化国家の日本の実情が、2回のワクチン接種の後に、平気にブレイクスルーして感染し、医者にも見てもらえず、PCR検査も受けられず、薬も貰えず、市販薬で治すしかなくて、おまけに、最終的にコロナに罹患したのかも分からないありさま。いかにも情けない。
大人の我々が、こんな情けない現状を認識し、改善できるように、しっかり行政に主張していかなくては、いけないと実感した。
銀塩カメラ、デジタル一眼レフカメラの立ち位置について
自分は、初老の年代なので、多くのカメラを体験してきた。
留学先、旅行に行くときには、毎回フィルムを20-40本と買い込み、空港のエックス線の検査機で問題が出ないように鉛のパッケージに入れて移動したものだった。
何といっても、銀塩カメラは、うまく撮れているかどうかは、現像してみないと分からない、その緊張感が独特のもので、ワンショット毎に覚悟を決めながらシャッターを
切る、その感覚が自分としては、大好きな原因の一つだった。
愛用のニコンFフォトミックの露出計もお粗末なものだったので、頼りになるのは、自分の目と感性がメインであったのも、冒険的な要素もあり、上手く撮影が出来た場合の
喜びも大きなものだった。
それに比べて現在のデジタル一眼レフ、ミラーレス一眼は、ある意味非常に優れている。どんな状況下でも、露出、焦点、フイルム感度すらも随意に最適化することで綺麗な写真を撮ることができる。何と素晴らしいことか?古い年代の自分には、ある意味
パラダイスのようだ。
その上、新しいデジタル一眼レフは、昔と同じく馬鹿みたいに高価だが、自分のお気に入りの古いタイプのカメラとなると信じられないくらいの安価な値段で入手することが
出来る。
しかし、光をとらえることに感性を磨いてきた自分に取っては、大きな疑問が有るときから芽生えて生きた。それは、この画像は、自分の目で見たより鮮やかで本当に現物を
捉えているのか?これは、電脳による作画?ではないかと言うことだ。
それからの自分は、なるだけ、現物の濃密な現物感を表現できるカメラを求めて
写真を撮るようにしている。
新型コロナウイルスは、既に旧型ウイルスに。
今回の中国発の武漢ウイルスは、二週間に一度の変異を重ね、既に数十万種類にも、いや、それ以上に変異しているだろう。
しかし、その変異には、細菌学の法則が働いでいる。
それは、変異のたびに、自分たちの種の保存のために、伝染性は、高まるが、毒性は、自己崩壊による弱毒化が進むというものだ。
今となっては、従来からある風邪の18パーセントがコロナウイルスなのに一種類新種が加わっただけの存在に成り下がっている。
現在の主流であるオミクロンBA1から間もなく、オミクロンBA2に変化した後、本来であれば沈静化するはずである。
ただ、海外の様子を見るとデルタ株の変異株、通称、ベンガル株などが、発生しているので、安心しきることも出来ない。
何故なら、これらの新種は、オミクロンより毒性が高い可能性が高いので。
安心するためには、厚労省の真心のない政策と拝金主義の製薬会社の態度で、承認が
下りずに無視されているイベルメクチンを海外から入手するのが最もベターと思う。
人の命を何と考えているのか、日本政府はー儲からないからと無視されてきた名薬品のイベルメクチンをいち早く一般の人達でも薬局で、入手できるようにするべきであると
思う。
昨日、大阪のテレビで、コロナで高熱が続き、水も飲めず、動けない患者さんが、イベルメクチン服用で、一晩で回復したという放送も流れていた。
良心のある医者も居るもんだと少し心が和んだ。
自己防衛の為にも、御用学者のたわけた意見と管理されつくしたテレビに騙されることなく、賢明な選択をしないといけない時代に我々は、生きていることは忘れては、いけないと思う。
理想のスポーツカーとは?気持ちの良いスポーツドライビングとは?
自分は、根っからのモータースポーツ好きなマニアで、実際に免許を取った十八歳から、40年間以上、日産車の某名門レーシングチーム、バイクのレースチームに所属
したりしながら、スポーツドライビングを楽しんできた。
だけど、電気自動車が持てはされ、自動運転が標準化しつつある昨今、しみじみと感じることがある、それは、運転する気持ち良さは、いったい何処に行ってしまったかということだ。燃費や自動運転などがもてはやされる現代においては、人が持つ感性の部分の気持ち良さなんて無視されて良いものだろうか?
私は、そう思わないーポルシェ911のシートバックに押し付けられる鳥肌物の直線加速、ランチア、ジャガーなどのイタリア車、イギリス車の猫足のようなしなやかな足回りー自分は、黄色のポルシェ、相手は、真っ赤なフェラーリ、環状高速で直線で追い越し、コーナーで追いつくフェラーリそんな思い出が、頭をよぎる。
スピードについては、最初に乗っていたセリカリフトバックですら、既に時速200キロで大阪、東京間は、3時間前後で巡行できたので、ある意味、日本の100キロ高速においては、性能は、十分であったと思う。
いらない装備もなく、男らしいブラックインテリア、車重も軽くムスタングに似た美しい外観も多くのワクワクを与えてくれた存在だった。
この当時の日本、日本人の熱さを感じる名車の一台だと思う。
本日の車話は、まずは、ここまで。